パンを作る時の手さばき、身のこなしというのは、当然ながら作る人の数分あります。
今までに色々な方の手さばきを見てきましたが、それはそれは凄いスピードでこなす人もいれば、どちらかというと慎重に、たんたんとこなす方もいます。
そんな姿勢を見ていると、その人なりのクセの様なものを発見する事がしばしばあります。
自分とパン生地の間にある、何かリズムとも言うべき一体感のようなものがあるのではないかと思うのです。
そんな製パン姿勢を見ていると、とても気が落ち着くのですが、相反してまったくリズム感のない方がいらっしゃいます。
いまだに自分のスタイルが確立されていない、自分とパン生地との間に、何のリズム感もない人です。
一方ではパン生地の状態に合わせて、その生地の最良の状態を引きだす為のリズミカルな動き。
他方では、生地の状態などまったくおかまいなしで、自分だけのリズム???で動く。
パンの美味しさと言うものは、色々な要素が組み合わされて作られて行くいものであると思います。
しかしそれは、パン生地にとって最低限度必要不可欠な取り扱いを受けた場合のみです。
作られるパンが、毎日毎日ばらばらなパン屋さんはたくさんあります。
大きさがばらばらだったり、焼き色がばらばらだったり、形がばらばらだったりと、とにかく定まっていないパン屋さん。
それは悲しいかな、皆手作りのパン屋さんです。
冷凍生地のパン屋さんと言うのは、この点は概ねクリヤーできています。
なぜなら、それが冷凍生地を使う最大の理由だからです。
そこそこの売上を上げたいから商売をするのであって、その目的を達成する為にはある程度の量のパンを作らなければなりません。
さらに出来るだけ多くの種類で、しかも出来るだけ個性的なパンを商品として並べたいと考えるのが普通です。
しかしそれには相当な技術力がいる。
技術と言うのは人が持つものですから、ご機嫌や個性やこだわりや考え方の相違などが人それぞれにあり、皆が一つの方向性を持って一体感でパンを作るなどというのは、夢のまた夢だと思えてしまっても無理はありません。
ですから、職人が要らないシステム、技術力を必要としないシステムというものが主流となってしまうのです。
そんな機械作りなんかに本当の美味しさは出せない・・・・
そんな信念をはじめは持っていたとしても、個性的なパン職人を束ねていくのは並大抵の事ではありません。
やがては辞められてしまい、新人のパートで対応したり、一部冷凍生地を使う事になったりと、信念を貫く事の難しさは、現役のオーナーなら嫌と言うほど体験済みの事でしょう。
自分ひとりで全てがこなせれば一番良いのになあ~
しかしそれでは売上がとぼしくなるし・・・・・
どこまで行っても手作りパン屋さんに付きまとう最大の問題点だと言えるでしょう。
親友であっても、家族であっても、そこに技術と言うものが介入すると、とたんに人間関係が難しくなります。
それはなぜかと言いますと、手さばき一つで品質が変化するかであり、作業の能率・効率いかんで、売上が変化するからです。
誰しもが皆、自分の分身がもう一人・・・いや、出来ればもう二人いれば・・・・
そんな切ない願いを抱きつつ、そうはいかない現実と闘っている事でしょう。
そんな事を考えていると、何故こんな仕事を続けているのか不思議になります。
一つがたった100円から150円位のパンを作るのに、いったいどれだけの気苦労をしいやられることか・・・・
しかしパン屋さんは何故か我慢強い方が多い。
いったい何に魅せられていると言うのでしょうかね(*^_^*)
私の場合は生地に魅せられている、ただこの一点だけでこの仕事をしているような気がしています。
パン生地の表情の美しさ。
生地に触れた瞬間の、あの絹の様な手触り。
そしてそれらを生み出すのが、自分の手である事。
そんな生地への思いを教えてくれたのも、私を育ててくれた先輩でした。
パン生地と言うのは、ベトベトしていて扱いにくいもの・・・・
ブリブリとしていて、引っ張れば戻るし無理をすれば切れてしまう・・・・
とてもやっかいなものだと言うとらえ方しか出来ないでいた若き頃、先輩にお前の成形はまったく駄目だと言われた事がありました。
そもそも何が良くて何が悪いのかも解らないまま、ただ作業として成形をしていた毎日でしたので、いったい何が駄目なのか?と不思議に思っていました。
お前の成形にはコシが無い・・・・
先輩はそう言うと、いくつか見本を見せてくれたのです。
忘れもしない、コッペパンの成形でした。
先輩の成形したコッペパンは、発酵後にナイフを入れた時にパックリと開いたのですが、私が成形したコッペパンは、ナイフを入れた瞬間に潰れてしまったのです。
しかもそれは、その生地を冷凍保存しておいて翌日に発酵させた時も同じで、先輩の生地はナイフを入れるとパックリと開いたのです。
成形にコシを入れると、冷凍しても生地のボリューム感は衰えないんだ・・・・
なんということなんだ!!!!
成形のやり方一つで、こんなにも違うものになるなんて・・・・
その先輩とのやり取りは一月もありませんでしたが、その瞬間から私の製パン人生は明らかに変わったのでした。
私は、生地へのタッチがどれほどパンの品質を左右させるかと言う事を、嫌と言うほど知っています。
そして、出逢う人全てにその事を伝え、手ほどきをしてきました。
しかし、それに興味を持って取り組んでいる人は実に少ない・・・・
まったく身勝手な論調で、生地を台無しにしている風景をたくさん見かけます。
商品のばらつきに頭を悩ませているとは言うものの、それが自分の生地へのタッチが原因であると言う事には耳を貸さないタイプの人も非常に多い。
そして何より問題なのは、結局は言い訳ばかりになってしまう人。
一生懸命には一応やっているのだから、その点はこれ以上どうしようもない・・・・
それ以外の解決策を教えて欲しい・・・・
そのような方々は、残念ながら手作りはあきらめた方が良いのではないでしょうか?
技術力向上をあきらめた時点で、パンの神様は去って行ってしまいますよ。
報われないと感じながらも、必死でパン生地と向き合っている多くの友へ。
生地へのタッチがパンを大きく左右させるのだと言う事を、どうか感じて欲しいと思います。
今までに色々な方の手さばきを見てきましたが、それはそれは凄いスピードでこなす人もいれば、どちらかというと慎重に、たんたんとこなす方もいます。
そんな姿勢を見ていると、その人なりのクセの様なものを発見する事がしばしばあります。
自分とパン生地の間にある、何かリズムとも言うべき一体感のようなものがあるのではないかと思うのです。
そんな製パン姿勢を見ていると、とても気が落ち着くのですが、相反してまったくリズム感のない方がいらっしゃいます。
いまだに自分のスタイルが確立されていない、自分とパン生地との間に、何のリズム感もない人です。
一方ではパン生地の状態に合わせて、その生地の最良の状態を引きだす為のリズミカルな動き。
他方では、生地の状態などまったくおかまいなしで、自分だけのリズム???で動く。
パンの美味しさと言うものは、色々な要素が組み合わされて作られて行くいものであると思います。
しかしそれは、パン生地にとって最低限度必要不可欠な取り扱いを受けた場合のみです。
作られるパンが、毎日毎日ばらばらなパン屋さんはたくさんあります。
大きさがばらばらだったり、焼き色がばらばらだったり、形がばらばらだったりと、とにかく定まっていないパン屋さん。
それは悲しいかな、皆手作りのパン屋さんです。
冷凍生地のパン屋さんと言うのは、この点は概ねクリヤーできています。
なぜなら、それが冷凍生地を使う最大の理由だからです。
そこそこの売上を上げたいから商売をするのであって、その目的を達成する為にはある程度の量のパンを作らなければなりません。
さらに出来るだけ多くの種類で、しかも出来るだけ個性的なパンを商品として並べたいと考えるのが普通です。
しかしそれには相当な技術力がいる。
技術と言うのは人が持つものですから、ご機嫌や個性やこだわりや考え方の相違などが人それぞれにあり、皆が一つの方向性を持って一体感でパンを作るなどというのは、夢のまた夢だと思えてしまっても無理はありません。
ですから、職人が要らないシステム、技術力を必要としないシステムというものが主流となってしまうのです。
そんな機械作りなんかに本当の美味しさは出せない・・・・
そんな信念をはじめは持っていたとしても、個性的なパン職人を束ねていくのは並大抵の事ではありません。
やがては辞められてしまい、新人のパートで対応したり、一部冷凍生地を使う事になったりと、信念を貫く事の難しさは、現役のオーナーなら嫌と言うほど体験済みの事でしょう。
自分ひとりで全てがこなせれば一番良いのになあ~
しかしそれでは売上がとぼしくなるし・・・・・
どこまで行っても手作りパン屋さんに付きまとう最大の問題点だと言えるでしょう。
親友であっても、家族であっても、そこに技術と言うものが介入すると、とたんに人間関係が難しくなります。
それはなぜかと言いますと、手さばき一つで品質が変化するかであり、作業の能率・効率いかんで、売上が変化するからです。
誰しもが皆、自分の分身がもう一人・・・いや、出来ればもう二人いれば・・・・
そんな切ない願いを抱きつつ、そうはいかない現実と闘っている事でしょう。
そんな事を考えていると、何故こんな仕事を続けているのか不思議になります。
一つがたった100円から150円位のパンを作るのに、いったいどれだけの気苦労をしいやられることか・・・・
しかしパン屋さんは何故か我慢強い方が多い。
いったい何に魅せられていると言うのでしょうかね(*^_^*)
私の場合は生地に魅せられている、ただこの一点だけでこの仕事をしているような気がしています。
パン生地の表情の美しさ。
生地に触れた瞬間の、あの絹の様な手触り。
そしてそれらを生み出すのが、自分の手である事。
そんな生地への思いを教えてくれたのも、私を育ててくれた先輩でした。
パン生地と言うのは、ベトベトしていて扱いにくいもの・・・・
ブリブリとしていて、引っ張れば戻るし無理をすれば切れてしまう・・・・
とてもやっかいなものだと言うとらえ方しか出来ないでいた若き頃、先輩にお前の成形はまったく駄目だと言われた事がありました。
そもそも何が良くて何が悪いのかも解らないまま、ただ作業として成形をしていた毎日でしたので、いったい何が駄目なのか?と不思議に思っていました。
お前の成形にはコシが無い・・・・
先輩はそう言うと、いくつか見本を見せてくれたのです。
忘れもしない、コッペパンの成形でした。
先輩の成形したコッペパンは、発酵後にナイフを入れた時にパックリと開いたのですが、私が成形したコッペパンは、ナイフを入れた瞬間に潰れてしまったのです。
しかもそれは、その生地を冷凍保存しておいて翌日に発酵させた時も同じで、先輩の生地はナイフを入れるとパックリと開いたのです。
成形にコシを入れると、冷凍しても生地のボリューム感は衰えないんだ・・・・
なんということなんだ!!!!
成形のやり方一つで、こんなにも違うものになるなんて・・・・
その先輩とのやり取りは一月もありませんでしたが、その瞬間から私の製パン人生は明らかに変わったのでした。
私は、生地へのタッチがどれほどパンの品質を左右させるかと言う事を、嫌と言うほど知っています。
そして、出逢う人全てにその事を伝え、手ほどきをしてきました。
しかし、それに興味を持って取り組んでいる人は実に少ない・・・・
まったく身勝手な論調で、生地を台無しにしている風景をたくさん見かけます。
商品のばらつきに頭を悩ませているとは言うものの、それが自分の生地へのタッチが原因であると言う事には耳を貸さないタイプの人も非常に多い。
そして何より問題なのは、結局は言い訳ばかりになってしまう人。
一生懸命には一応やっているのだから、その点はこれ以上どうしようもない・・・・
それ以外の解決策を教えて欲しい・・・・
そのような方々は、残念ながら手作りはあきらめた方が良いのではないでしょうか?
技術力向上をあきらめた時点で、パンの神様は去って行ってしまいますよ。
報われないと感じながらも、必死でパン生地と向き合っている多くの友へ。
生地へのタッチがパンを大きく左右させるのだと言う事を、どうか感じて欲しいと思います。
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最終更新日 : -0001-11-30