皆様、毎日のお仕事お疲れ様です!(^^)!

医者の大罪 医療サギに殺されない39の心得 (SB新書)
パン作りの質問から発展して、お仕事の悩みや生活の中の悩みを聞く機会が意外とあります。
”悩み” というのは人それぞれ感じ方や捉え方が違っていて、おなじような状況であっても、悩んでしまう人もいればなんとも感じない人もいるわけで、十人十色ですよね。
しかしながら、よく報道されている学校生活でのいじめなどで、自殺に追い込まれてしまうほどの心理的、あるいは肉体的なストレスを受けた場合には、逃れようのない悲しい結末が訪れてしまうことが多いと思いますが、大人になって、社会人になってからのこのようなストレスからは、”逃げる” という選択肢も大いに必要ではないかと思うのです。
と言うか、学生こそ逃げてほしいと思いますが・・・
逃げるという表現には、卑怯であるとか負け犬になるといったようなマイナスイメージが付いて回ることがよくありますが、皆様はどう考えますか?
守るべき家族がいる、自分にしかできない仕事である、ここで我慢できないようでは何をやっても成長することができないのでは・・・
そんな思いからか、どんなに辛くても、どんなに過酷でも、どんなに長時間労働でも、頑張り続ける人がいます。
だったら逃げませんか・・・
もう全部投げ出しちゃいませんか・・・
でももしそうするにしても、一月前には退職の旨を伝えなければならないし、そもそも引継ぎが・・・
とか考えてしまうのでしょうねきっと。
それに次の仕事も探さないといけないし、自分一人の判断だけでは済まされる問題ではない気がするし・・・で結局ズルズル悩み続ける。
よ~く分かりますよその気持ち。
逃げるなんてそんなに簡単な、そんなに単純なものじゃない。
そもそも嫌だからやめるなんて、人間としてどうなんだ・・・みたいに結論がなかなか見えてこない時ってありますよね。
しかしです、人生ってあっという間ですよ~。
若かりしころ、部屋にポスターを貼って毎日ながめてはうっとりしていたあのアイドルが、今では60歳を通り越してあのころの面影ももはや・・・とか、
映画やドラマや歌番組であれほど華やかに見えていたスター達も連日の葬儀報道となり、自分自身も間違いなく老いているんだなと実感する今日この頃ですが、皆さんも同じですよ。
いくら人生100年時代などと言われていても、本当に時の過ぎるスピードは歳とともに早くなるものです。
なので、あまり我慢ばかりせずに、思うがまま、なすがままにという選択肢も考えてみるべきではないでしょうか。
そう助言することが多いこの頃なのですが、この ”なすがまま” という自然体的な捉え方、生き方というのが実はとても重要だと思うのです。
逃げない人というのは、いわゆる戦っている人になります。
人間関係とか、理不尽とか、矛盾とか、過労とか、責任とか、とにかく何かと戦っていて、そうすることが正しい、つまり戦い続けることが成長とか成功とかに直結しているんだと考えていると思うのです。
アスリートが練習を一生懸命して、人一倍練習に励んだからこそ今の自分があるというような発言をされますが、それと同じように自分も社会において負けずに戦うんだ、今日の頑張りが明日への一歩なんだと言い聞かせながら毎日毎日頑張る姿は、確かにある意味素晴らしい考え方なのかもしれません。
しかし、それで身体を壊したり、精神的に病んでしまったり、そうでなくても胃薬や頭痛薬を常備薬として飲まなければならないような状態であったり、マッサージを受けたり整骨院に通ったり、最悪精神安定剤や睡眠薬が必要になったりしたのでは、まさに身を削っているということになり、確実に寿命に悪影響を及ぼすばかりでなく、結局周りや家族に心配をかけることになったのでは本末転倒です。
仕事が大変だとか忙しいだとか言っても、ストレスを感じているか、そうでないかでは大きな違いがあります。
我慢は誰にでも必要だということぐらいは当然ながら理解して毎日毎日頑張って働いているわけですが、あきらかに身体が、そして心が悲鳴を発しているような場合があったとしたら、そんな毎日を継続する事こそが最も危険なのであり、確実に何かしらの病いをもたらすことになります。
眠れない毎日や疲れが取れない毎日、そして慢性的な胃痛や頭痛、疲労感や脱力感などなど、さまざまな身体からの悲鳴が信号を発しているとしたら、それはもう逃げるのが一番の薬なのです。
それなのに、無理をして戦うためにすぐに医者に行こうとする人がいます。
医者に行って何かしらの薬を処方され、そしてまた戦う。
しかし、この場合の薬というのは、自らが発している信号を遮断して、あたかも感じないようにしているのに過ぎず、けして何も治っているわけではないのです。
治っていないのに、痛みを遮断したり感覚をにぶくしたりすることで、治ったかのように錯覚してまた無理をして戦うことになるので、さらに心身ともに病んでいく事になるのです。
どうしてこうも薬というものの力を過信してしまうのでしょうか。
薬というものが病を治すものだと信じ切っている人もいるでしょう。
しかも、できることなら”早めのパブロン”さながら、初期症状の時にこそ薬は飲むべきだと考えている人もいると思うのですが、それは全く根拠のない、むしろ体に有害以外の何物でもないということをご存知でしょうか。
例えば、風邪をひいて熱が出る、喉が痛い、咳が出るなどの症状というのは、ウイルスが身体に入り込んだのを追い出すために免疫機能が活動している訳ですから、そこで薬を飲んで神経回路を麻痺させてしまうと、自らが直そうとする力を奪ってしまうことになり、それを続けることによってどんどん自分の自然治癒力が衰えてしまうのです。
むしろどんどん熱を出して、そして身体を休めることで自らの免疫力が活発になり、病気に強い身体を作っていくのです。
「そんなことは解っているが、例え麻痺させてでも会社を休むわけにはいかないんだ・・・」
という方もいることでしょう。
しかしながら、そんなことを続けていると、結局は大病を患うことになり、会社にも家族にも大迷惑をかけることになる可能性が高まり、自らの命の危険にかかわる大問題なのです。
とにかく多くの薬を平気で飲んでいる方々がいます。
食べ物には相当気を使っているという方でも、薬となると話は別だという人がいます。
自分の判断でどのような薬を飲もうと勝手だろ・・・とお考えの方こそ、そして何かあればすぐに医者にかかるという方こそ、どうか薬の効果とか副作用とかを今一度よく調べてみてほしいのです。
薬が間違いなく必要なことがあります。
それは例えば、怪我をして血が出ていたら、消毒をしないと大変なことになる場合があります。
もし怪我などで感染症にかかったとしたら、抗生物質などを使って菌を撃退しないと命が危ない場合もあります。
このように、基本的に薬というのは症状が自然治癒の範囲外の場合、そして対処療法として用いられるものに関しては必要だと言えるでしょう。
しかし、各種検診などで平均数値から判断され、”あなたは平均より少し高めなのでお薬出しておきますね”というような、いわゆる予防医学としての薬は百害あって一利なしです。
そもそも平均値というのがおかしな話ではありませんか?
あなたは日本人の平均身長より少し高めですから、頭を少し切りましょう・・・みたいなものですよね。
”平均” で血圧やコレステロール値を決めても、人の身体というのは人それぞれ違いますし、ましてや血圧に限って言えば計測時の状況にもよります。
”念のため” とか ”とりあえず” で出されたお薬が、いったいどれだけの新たな病気を生み出すことかを知った時、それでも大切な家族を病院へ行かせるべきか、きっと悩むと思います。
一年前、私の母の姉が腎臓がわるく、医者から人工透析を進められていると聞き ”絶対にダメ” だと言いました。
皆様は人工透析という言葉はなんとなくは知っていると思うのですが、週に三回は病院へ行って、自分の血液を機械で掃除してもらうというものです。
一度通ってしまうと、自らの腎臓で行うべき機能が失われてしまい、死ぬまで病院通いが続くことになるのです。
言葉は悪いですが、病院からすると死ぬまでその人から売り上げを上げることができる確証を得るわけです。
これが恐ろしいことに、毎年患者がうなぎのぼりで増えています。
これも、どうでもいいような検診で ”腎臓の機能が少しおかしいね” からはじまって、血圧を下げられたり、おしっこを無理やり出す薬を飲まされたりして、どんどん免疫力が低下し、あげく人工透析の道をたどることになるのです。
あの日検診にさえ行かなければ・・・・という話なのです。
ちなみに母の姉は薬を一切止め、それ以来医者へは近づかないおかげで今も元気です。
あの時人工透析を決断していたら、自身も家族も大変な思いをしていたことでしょう。
治療中でもその病院へは二度と行かない方が良い・・・というようなことを私は多くの人に言ってきました。
そしてなぜか、そのおかげで病がひどくなったという話は一軒も聞いたことがありません。
本当なら、病院通いを止め、薬を止めたら間違いなく病気が進行してしまうはずですよね。
しかしそんな話は聞いたことがない。
おかしいですね。
むしろ通院を続けている人の方が、どんどん悪くなって見る影もない・・・という人が多いです。
病院とか医者というと、きっと適切な治療をおこなってくれるはずだし、そのような勉強をしてきたはずだし、人を救うことを使命として働いているはずだし・・・そのようなイメージありますよね。
たしかに一部の医者、あるいは病院の中には、経験豊富でしかも勤勉で、患者の治療を最優先に考えてくれる人もいるかもしれません。
しかし現実的に考えてみればわかると思うのですが、一人ひとりの患者に向き合っていたら、本当に患者の生活の質にまで心をくだいていたら、身体がいくつあっても、時間がいくらあっても足りません。
自らの利益、それを支える勤め先の利益というのがまず一番で、そのあとにそれはお客様のおかげだということになるのは、我々と同じではないでしょうか。
ごくごく一般的な、そして医療行為として正式に認められている治療および薬を処方して、次々に来院する患者をいかに迅速に処理していくかを考えることは当然ではないでしょうか。
そして、経営として、できることなら入院してもらった方が儲かりますし、高額な治療の方が更に儲かりますから、ならばそちらを優先したいと考えてもおかしくはないし、むしろそれが自然というものでしょう。
日本という国は、世界でもまれに見る検診大国です。
病気でも何でもない健康体の人を検査して、少しでも ”んっ” と思ったらとりあえず再検査してみる。
どうでもいい平均値というものを用いて、平均値に近づけるための薬を病気でもない、痛みがあるわけでもない人に平気で処方する。
もちろん多少の副作用があることは医師や保健師もわかってはいるが、合法だし、その副作用によって死に至るようなことはまずあるまい・・・と、流されてしまっているのです。
がん検診や人間ドックなどに皆さんが一生懸命通ってくれるおかげで、もしかしたらみたいなごくごく小さな黒い点があると、「とりあえず検査してみましょう」となり、そこから売り上げが発生します。
ここ数十年の間に、がんが早期発見された患者の数は激増しています。
つまり、怪しいものもひっくるめて次々に検査しているので、患者の数は激増するわけです。
これによって医療業界は大いにうるおい、多くの患者を救ったとうたっています。
しかし肝心のがんでの死亡者数というのは毎年変わっていません。
これを、患者が増えたのに死ぬ人が少なくて済んだのは、早期治療が功を奏したからだと発表されていて、医療が進歩して今ではがんも治る病気になったんだと皆さん信じていると思います。
しかしよ~く調べていただけると解ると思うのですが、これが本当のがん、つまり完全なる一般的に言う悪性のがんであったとしたら、それを治す治療というのは医学にはないのです。
早く見つけようが遅く見つけようが、本当のがんなら、治らないということです。
ですので、早期に検査して見つかったがんのようなものというのは、いわゆる良性の、ただのしこりなのです。
これは放っておいてもなんともないしこりですし、ごくごく普通に老衰で死亡した死体を解剖すると、ほぼ全員にこれらの、まるでがんのようなしこりが見つかるそうです。
つまり、がんかもしれないというだけで検査したり手術したりしたものの、「どうやら良性だったようで、よかったですね、安心してくださいね」となるわけで、患者もそれを聞いて「先生、ありがとうございました」となります。
しかしここでよ~く考えてみてください。
そもそも良性なら治療も薬も手術も必要なかったわけで、何のために身を切って身銭も切って、尚且つ医療に寄付までしたのにお礼を言わないといけないのでしょうか。
あなたの身体にメスが入ったという事実、MRIなどで被爆した事実、効きもしない薬を飲まされたという事実、これだけでもその後に身体に何らかの新たな病気を引き起こす可能性をもらったにすぎず、どこに感謝する意味があるのでしょうか。
しかも、もしそれが本物の悪性のがんであったのだとしたら、早く見つけようと遅く見つけようと治ることはないのです。
なのに今では、早く見つけさえすれば治る人も多いという間違った解釈が横行していて、ならばならばと皆さん時間を作っては人間ドックに通うことになるわけです。
MRIという医療機器をご存知の方、そして実際にそれで検査をしたという方も多いかもしれませんが、日本はなんとこの機械の設置台数が世界No1です。
そして驚くのはその放射線量です。
これは人が一年間に浴びて大丈夫とされる被ばく量をすぐに超えてしまう大変な機器なのにもかかわらず、へたをすると一月に何度も浴びせられてしまう行為も多いはずです。
この被ばくというのが最も新たながんを生み出す原因であると言われています。
すべて正しいこと、そしてそれが自分や家族の健康のためだと思っている今どきの医療行為。
それらがもたらす本当の大罪を知った時、きっと震えると思います。
どうか早めのパブロンではなく、早めに人間ドック・がん検診・薬に効果はあるのか検索していただいて、これらの実態を知り、無駄な時間と無駄なお金をかけて、身を削る行為を行わないようにしてほしいものです。

医者の大罪 医療サギに殺されない39の心得 (SB新書)
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最終更新日 : 2020-05-29