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ベーカリーアドバイザーの部屋

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2022-07-31 (Sun)  17:23

やっぱり捏ね方は重要だった・・・

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当たり前ですが、毎日暑いですね~

言っても言わなくても暑いに変わりはないのですが・・・それでも言わずにはいられないほど暑いですね~

暑いのが大嫌いな私にとって、6月から9月の間は概ねうつ状態なのですが(笑)これが不思議とパン作りをしているときだけはそうではないのです。

仕事が嫌い、体を動かすのが嫌いな私なのですが、なぜかパンを作っているときだけは別人格が出てくるようで、そのおかげで今までなんとかおまんまが食える生活を送れているようなのです。

「母上のおかげでございましょう、感謝感謝」

また、本来なら夏はエアコンのある部屋でじっとビデオを見ながら、ただただ秋の到来を待ちわびるというのが通年の過ごし方なのですが、ここのところの相談件数の多さに、暑さも確認できないほどの集中力を使っており、やはり人間というのは誰かのために頑張る生き物なんだなと改めて感じている次第なのです。

そんな珍しくも、うつではない夏のパンづくりにおいて、改めて確信した出来事がありました。

それが、やっぱり捏ねないフランスパンは最高に美味しい ということなのでした。

どういうことなのかと言いますと、たまたまいつもの二倍の量を捏ねる機会がありまして、捏ね上げ時間も捏ね上げ温度も、そして勿論配合も全く同じで、完成したパンも何の問題もないいつも通りのパンなのでした・・・見た目には・・・

しかしなぜか違和感が頭をよぎり、たまたま切ってスタッフで試食したところ 大ビックリ・・・

全然美味しくないのでした。

ただ、違いがわからないというスタッフもいました。

私は初め、「???こんな味だったけ??」と思いながらも、なんとなく認めることができずにいたのですが、一人の女性スタッフが「なにこれ、全然美味しくないじゃないですか」と言い切り、それを聞いていた私も思わず「そうだよねー!!」となったのでした。

それはまさに味と言うよりは「風味」に欠けるパンであり、例えるならば具材が乗っていない部分の大手のパン(大変失礼ではありますが・・・)のようであり、しっとりもしているし、一見香ばしいようにも思える、出来栄えとしては満点のパンなのにも関わらず、いつもの風味とか味わいを感じることができなかったのでした。

「ここまで違うか??」

それが率直な思いではありましたが、しかし違和感に正直に向き合った結果、このような実感を得ることになったのでした。

自分自身が一番こだわってきた小麦の風味を損なわない製法、それが捏ねすぎない製法だったわけですが、ここまで実感できたことは今までありませんでした。

もちろん使用する小麦粉によっても話は変わってくるのだと思いますが、今回は量が二倍になるということで当然のことながら水の温度を下げたわけです。

ですので、捏ね上げ温度はいつもと同じでした。

他に違いがあるとすれば、それは若干成形に時間がかかったということくらいですから、やはり同じ時間のミキシングであっても、その間の摩擦上昇温度によって完成品の風味が変わってくるのだということを改めて感じることができたのでした。

いつものことながら失礼を承知で申しますと、「違いがわからない」的な人ってたくさんいらっしゃいます。

もっと言うなら、こちらの方が美味しいとまで言う人も必ず存在します。

味の好みというのは本当に人それぞれですから、そういう意見の人も何も間違ってはいないと言えるでしょう。

しかし私はそもそも他人の意見に耳を貸すほど人間ができてはいません。

どんな場合でも自分が判断した決断を曲げたことはありませんし、例え全員が反対意見でも、そんなことは私にはまったく影響しません。

それくらい自分勝手でないと、オリジナルの味を作り出すことはできないとさえ感じています。

なんか嫌な感じですよねきっと(笑)



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そんな事があって、過去に作ったハード系パン達のことに思いを馳せてみると、そういえば食べるたびに微妙に???と感じることが何度もあったことを思い出しました。

毎日毎日さまざまなパンを作っているのに、なぜかその時のハード系パンの???だけはしっかりと覚えているから不思議です。

つまり、「なんか違う気がするんだけど・・・なんだろう??」位のことなのですが、しっかりと違和感として記憶されているようなのです。

いわゆる違和感リストみたいなものですかね。

常に自分が作るパンに対してだけは非常に厳しく、多方面から捉えてみても、全部に満足がいかないと違和感としてリストに入り、その解決法を数十年後に気づくなんてことがザラにあるのです。

小さなことで言えば、ほんの少し焼きすぎてしまっただけのパンでも、どう違うのか食べずに終わったときなどはリストに入ってしまうのです。

満足のいったパンはむしろ記憶には残らず、「どうしてああなったのだろう」とか、「あのパンはなんかボリュームが出なかったな」というような、ほんの少しでも違和感をおぼえるような出来事があるとそれがリストに入り、解決までは決してリストから出ていってくれないのでした。



答えは必ずある

もしかしたら、自分が出した答えは間違っているかもしれない。大した勉強をしてきたわけでもないし、経験も浅いのできっと自分には解けない課題だろう、そう嘆いて相談してくる人が多いのですが、自分なりでいいのです。間違っていてもいいのです。自らが納得できる答えを出すことを習慣にすることができればいいのです。いちばん大切な事はよく言われることですが諦めないことです。探し続けることです。そしてもし新たな事実が分かったら、とっととそれまでの自分の考察を捨てて、新しい事実に乗り換えるのです。クソみたいなプライドは捨てて、いつでも自分のパンにまっさらに向き合えばいいのです。



しかしながら、そんな分厚いリストがあるおかげで、私は様々なパン作りの問題点にたどり着くことができ、毎日確実に誰かの御役に立てているのだとしたら、これ以上の喜びはありません。
大嫌いな暑さも、どうやらこの喜びには勝てないようです(笑)



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懐かしい思い出なのですが、他人の舌はあてにならないという思いを何度か味わってきました。

その1つが当時まだペーペーだった頃に、とある技術部長さんのアシスタントをしていたときのことです。

その方は料理にも精通していて、ハンバーグソースをオリジナルで作り、そのハンバーグでサンドイッチを作るという場面があったのですが、私は言いつけられていた材料を入れ忘れてしまい、それを言えずにいたところ、「どうだ、やっぱりこれが入ると一味ちがうだろう」とその香辛料の自慢を皆の前でしている姿を見て、「人の舌なんて適当だな」と感じたのでした。

もちろん本物の舌をお持ちの方はたくさんいらっしゃることでしょうが、思い込みがそれを上回ることもあるということなのではないでしょうか。

そういうことがやたらと気になる私にとって、自分自身がどこまでも納得できないと前に進めないパン人生というのは理にかなっており、そのことに立ち向かっているときだけパン職人でいられる気がするのです。

そうはいっても、

売れるパンが作れなければ商売にはならないでしょう。

だからこそ流行をつくることに目が行くのも当然必要だとは思うのですが、私の経験ではその方法では長くは続きません。

真面目にパンに向き合い、真面目に作ってさえいれば、必ず道は開かれると私は信じています。

毎日の流れにただ流されてしまい、同じことの繰り返しで・・・という方がいますが、問題意識なくして知識が宿るとはとても思えません。

眼の前の問題点ととことん向き合い、飽くなき探究心でぶつかれば、様々なことを試す機会はあるはずですし、試した分だけ知識となって自分を磨いてくれるものだと思います。

「なぜ配合はこうなっているのだろう」

「この5%が6%だったらどう違うんだろう」

「1.9%と2.1%に違いがあるのだろうか」

そんな、日頃なんの疑いもなく作っている配合でさえ、果たして全て説明できるでしょうか。

もし説明できないとしたら、そんなパン作りを続けていって大丈夫なのかな??と自問自答して、あとは行動あるのみです。

会社組織では簡単には配合を変えることはできませんよね。

しかし、ミキシングや分割丸め、そして発酵時間や温度湿度、そして何よりも焼き方などは色々何通りでも試すことができます。

私自身は自分で作った配合でも、納得ができて続けていてもせいぜいひと月くらいで、やはり捏ね方を変えてみたり温度を変えてみたりして、日々何かしらの試験を行ってしまいます。

思えばペーペーの頃から先輩にも質問しまくって、勝手に色々と変えては怒られていました。

しかし今ならはっきり断言できます。

定説とか常識なんて所詮誰かが作ったもの、自分が納得できるパンは自分でしか作れないことを知りましょう。





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最終更新日 : 2022-07-31

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