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2022-08-27 (Sat)  10:14

”我慢”では国は救えない

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先日、東北の石巻にある震災の記念公園へ行ってきました。

すぐ近くの丘に登って石巻市を眺めていたとき、何度も何度も当時津波で流されていく映像をみていたこともあってか、「ここで多くの人が何の罪もないのにいきなり命を奪われたのか」「本人はもちろんのこと、ご家族や友人がいかに無念に思ったことか・・・」そんな事を考えながらいた所、どうにも涙が溢れてきました。

私は「無念だ」という言葉に日頃から思いを馳せることが多く、戦争や災害や事件や事故などで、ある日突然家族や友人と過ごすことを奪われてしまう悲しみ、人生という自分自身のプランが道半ばで絶たれてしまう悔しさ、一体どんな思いでこの状況を受け入れるのだろう、いや、到底受け入れられまい・・・そんな心の葛藤を思うと、「無念だ・・・」そう感じてしまうのでした。

そんな無念な亡くなり方をした方々にとって、残された者たちがやるべきことの1つに、「幸せだった生活を今後も継続していくこと」、つまり大切な人を思いながら共に人生を楽しんでいくことなのではないかと思うのです。

しかし現実はどうでしょう。

相変わらずの地震に災害に、そしてコロナで人々の生活は我慢我慢の毎日です。

無念にも共に生きることができなくなってしまった大切な人に、笑って報告ができるような毎日ではなくなっている気がしませんか。

いや、もっと言うと、本来なら災害などで得た教訓を生かして、この国をもっと強靭にしていかなくては、いつまでたっても無念に亡くなる人はいなくならないのではないかと思うのです。

しかしあろうことか、本来なら災害に備えた海岸沿いの強靭化、河川の堤防整備、高速道路網の整備などを長期計画に則って行っていかなければならないところを、おかしなロジックで中止してしまっているのが今の政府なのです。

本を正せば民主党政権時に始まった「無駄を無くす」という政策から来ているようですが、当時はやたらと「不正」とか「天下り」とか「癒着」という言葉がマスコミを賑わし、それまでの国民の言いたかったことを政権が民主党になってようやく暴いてくれる・・・的な流れの中で、何もかもが無駄だ、予算のかけすぎだ、税金の無駄遣いだといって中止したり廃止したりしたことで、一見クリーンな社会になったかのように思えたものでした。

しかし現実はと言うと、そのおかげでインフラ整備は無駄のように扱われてしまい、役所とかゼネコンとか公共事業などはまるで悪の温床であるかのような扱いになり、必要な道路整備も災害対策も一切が中断されてしまったのでした。

そんな最中の東北大震災によって、原発もすっかり悪となり、その後太陽光発電へとシフトしていったことで、これまたあろうことか、電力が足りないなどという事態が先進国である我が国で置きてしまっているのでした。


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今ではあちらこちらで見かける風景ですが、景観を損なう最悪な政策に走ってしまったのがこの太陽光発電システムでしょう。

ここではこのシステムに関しては触れませんが、間違っても日本が取るべき電力政策としては最悪であることは間違いないでしょう。

震災の教訓が生かされているとは到底言えないこの景観が、やがては土砂災害の増加に一役買うことになると言われています。

「原子力発電は放射能で危険、太陽光は自然エネルギーだからエコ」誰に聞いてもそう答える気がしますが、多くの人がこれらについてあまりにも真実を知らなすぎる気がします。

世界的に主流になりつつある電気自動車も、太陽光パネルと同様に、バッテリーの廃棄問題は後回しになっていますし、そもそも普及に補助金を使わなければいけない意味が分かりません。

肝心要の国土強靭化には待ったをかけて、一見クリーンそうなものに税金を使っている今の政府をこのままにしておくと、電気だけではなく水道や下水処理の問題、台風や大雨による水害、そしてなによりも大地震に備えることができずに、多くの無念の死を生むことになることでしょう。

どうして国民は、コロナで我慢我慢の毎日の中、増税にばかり頼る意味不明な政策によって可処分所得を奪われても、物価高で生計が苦しくなっても、いつまでもガソリンが高くても、今後くるであろう食料不足を見据えても、今の政府にNOではなくYESなのでしょう。

なぜ怒らないのでしょう・・・

元国土交通省道路局長の大石久和氏はこう言います。

「それでも日本人は怒らない」

「なぜなら日本人は災害死史観だからだ」

どういうことか簡単に説明しておきますと、日本人はそもそも災害によって多くの命を奪われてきた歴史があります。

災害というのはいつ起こるか分かりませんから、恨む対象は自然であり、恨みようがないのです。

しかも、数日で過ぎ去ることがほとんどですから、「仕方ないか、我慢我慢」という歴史観が身についているのです。

ですので、「もう少しすればきっと良い方向に向かうであろう・・・」的な希望観測を持ってしまう国民性だというのです。

詳しくはこちらの動画を見てください。

日本の国土や国民性についてとても勉強になりますよ。









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東京湾アクアラインですが、皆さん走ったことがありますか?

これは木更津側からの画像で、この先はずっと海底の中を走るわけですが、すごい技術ですよね。

この頃からインフラ整備を止めずに行ってきていたら、いったいどれだけの高速道路網が出来ていたことでしょう。

新幹線も日本中すべてを網羅していたのではないかと思います。

橋や水道管なども順次新しいものと交換され、さぞかし暮らしやすい地方都市も出来ていたことでしょう。

なにがどうしてこうなってしまったのか・・・今となっては考えても仕方のないことなのかもしれませんが、もうこれからは”黙って我慢”では先人達に報告ができません。

皆様も大いに勉強して、正しい情報を吸収し、大いに拡散してこの国を守っていきましょう。

しっかりとした国土で、そして安定した経済活動が行われていかないことには、私達パン屋の未来も危うくなってしまいます。

今後しばらくは小麦の輸入価格が跳ね上がりますから、当然国産小麦も高騰したり品薄になってくることでしょう。

手に入らない個人店も出てくるかもしれません。

更にはその他の原材料も軒並み値上がり品薄にもなりますゆえ、パン屋を取り巻く環境はとても苦しくなってきます。

政府は直ちにそれらに対する対策を打ってもらわないことには、小麦粉がなくてはパンが作れなくなってしまいます。

政府も我々国民生活もパン屋の経営も皆一体なのです。

皆でこの国がより強く豊かになっていくために勉強を続けていかなければなりません。

我慢では生活は守れないことを知りましょう。

過去記事も参考にしてください。








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最終更新日 : 2022-08-27

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